2016/09/09

ハンドリガード(赤ちゃんがじっと手を見る)からのタオルケット握り

赤ちゃんの成長をあらわす言葉として、「ハンドリガード」という言葉があるのですね。私は、最近知りました。
ハンドリガードとは、赤ちゃんが自分自身の手の存在に気づいて、じっと手を見つめたり、目の前で両手を合わせたりすることを言います。
まず、赤ちゃんは2つ手があることに気がつきます。「これはなんだろう・・・?」と不思議そうな表情で手をじっと見つめます。そして、その2つの手が動くこと、さらに自分の感覚で動かせることに気が付くのです。
引用元「手をじっと見つめてる☆ハンドリガードってなに?

ただ手を見てるだけ~みたいな日が何日か続いたと思ったら、今日、ガーゼのタオルケットを握っているのを発見しました。















ただ握っているだけではなく、手を上下に大きく動かしています。おかげで、布団はずれまくるけれど。
これも成長の一コマなんだなと、実感します。

成長といえば、こんな話もあります。夜の11時ころから深夜1時ころまで、泣き続ける日々が続いていましたが、今週から泣く時間がすごく短くなりました。

2ヶ月過ぎると楽になるよ、というお医者さんの言葉は、このことだったのだと感じます。

おかげで、ブログ更新がはかどるというもの。

ではでは。

2016/09/07

赤坂で、しっとりと口当たりの良いロールケーキに感動!

先日、国会図書館から池袋のほうへ行く用事があったので、赤坂で一休みすることにしました。チェックしておいたお店が「西洋菓子しろたえ 赤坂」。赤坂見附の駅からすぐそばの喫茶店です。

夕方の5時ごろについたので、ちょうどお客さんが入れ替わる時間帯だったのでしょう。前にも人が並んでいましたが、20分も待たずに入れました。

ケーキもコーヒーも、400円以内という赤坂とは思えない、安めの値段設定にびっくり。レトロ調で、店内の雰囲気も落ち着いています。

ケーキは小ぶりだったので、二人で3個頼んでみました。

  • フランボワーズ
  • スリーズフロマージュブラン
  • イチゴのロールケーキ 











私は、スリーズフロマージュブランとロールケーキを頂きました。
中でも、ロールケーキは絶品です。しっとりとした食感と、ふんわり柔らかさが同居してハーモニーを奏でています。

店頭でも、1本1,500円で売られています。買おうかどうか、すごく迷いましたが、自分で作ってみたほうが楽しそう、と思い立ちました。さっそく次の日にロールケーキづくりにチャレンジです。


なるべく小麦粉を使いたくなかったので、参考にしたレシピはこちら
砂糖40グラムを、てんさい糖20グラムと、はちみつ20グラムに置き換えてみます。

今まで私は、ロールケーキをうまく巻けずに、作るのを敬遠していました。でも、「写真で見るロールケーキのきれいな巻き方」を見て納得。焼きあがった生地を半分に切れば良いのです。不器用な私でもうまく巻けました。

ロールケーキの巻き方がこの動画で見られます。

中に巻いたのは、
  • 生のラズベリー
  • バナナのブランデー炒め、シナモン味

この2種類です。バナナの見た目は悪いけど、とろりとおいしくできました。さすがに、「しろたえ」で味わった食感は再現できなかったけれども。


ではでは。


おまけ

歩いている途中で見かけたインド大使館。面白い外壁でした。

2016/09/04

やっと台風10号の心配から解放された。岩泉へのエール。

9月3日の昼、安家地区・大平にいる父の無事が確認できました。
体にはダメージは無いとの話でしたが、精神的にはけっこう参っているようです。被災後の心のケアが大切という話はよく聞いていたけれど、こんな形で実感することになるとは。


このツイッターのまとめにもあるように、岩泉町には非難も寄せられているみたいです。グループホームに入居している方が9人も亡くなったため、町長に対する批判報道もありました。

確かに、被災結果について、町として責任を負う面もあるでしょう。しかし、身内が音信不通となっていた私としては、災害の検証と批判は、住民の生活が落ち着いてからゆっくりやれば良いのでは?と思ってしまいました。

岩泉町は、東京23区の面積の1.5倍の広さです。そして、今回の台風では、町の広い範囲で被害が出ました。それに対応する職員の数は、およそ150人。平常時の行政はそれでも回るのでしょうが、非常時にどうにかできる体制ではないのです。

ニュースでは、孤立地域の住民を次の台風被害から守るために、町の中心部に移しているという報道がありました。私の父も移動したと聞きました。

被災された皆さまが、一刻も早く日常を取り戻すことを祈っています。




2016/09/01

岩泉町に向ける不安な思い

グループホームでの被災により、岩泉町という名前がテレビで連呼されるようになりました。そういえばこの町に父親が住んでいる、と思い出し、メールをしてみるものの返信がありません。

父は、もともと埼玉に住んでいて、還暦になった最近、春から秋の間だけ岩手に移住しているのです。そんな感じですから、私も普段は、「父は岩手方面にいる」とだけしか思っておらず、水害のニュースも初めは聞き流していました。

父がいるのは、岩泉町の中でも、被害のひどい「安家(あっか)」地区。NHKのニュースでも、道が寸断され、川岸の家がいくつも流されている悲惨な状況が報道されています。

迷惑を承知で、岩泉町役場に電話してみるものの、状況はわからずじまい。行方不明者に父が含まれているのかどうかも教えてもらえませんでした。そこで、被害のひどさを見るにつけ、生きていたらもうけもの、ぐらいの気持ちで腹をくくることにしました。地域の通信が途絶えているという話だから、ただ単に電話ができないだけかも知れないですし。

そんな話を家に帰って妻にしたら、だいぶ気持ちが軽くなったのです。持つべきものは家族だなと思いつつ。

ではでは。


父の無事が確認できたので、思ったことをここに書きました。