2016/11/25

ポリティカル・コレクトネストは死んでない

アメリカ合衆国の大統領選挙で、トランプ氏が当選したという衝撃のニュースが飛び込んできたあの日。2週間も前のことになります。

今では、NHKニュースまでもが、トランプ氏は常識人で、日本もうまくやっていけるという論調です。でも、本当にそうなのかは、実際に就任してみないとわからないはず。大統領として、どういう評価をすべきかは、来年になって考えてみるとします。

ところで、この選挙が終わった後に、次のような考えを目にしました。クリントン氏が「ポリティカル・コレクトネス」を打ち出したから、落選してしまったのだ、だから「ポリティカル・コレクトネス」という考えは用済みなのだと。

そもそも、「ポリティカル・コレクトネス」とは何でしょうか。wikipediaによれば、次のような意味の言葉です。
ポリティカル・コレクトネスとは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
私が思うに、言葉というものは、人が自分の考えを表現するための「うつわ」です。現代において
も、自分の考えを表現するとき、言葉はあいかわらず、とても大切なものです。

そして、現代社会は、職業・性別・人種などに基づく差別をなくしていこうという動きの結果、なりたっています。かつて、たとえば女性は選挙権も与えられず、また、体の不自由な人は移動するのにも大変な苦労をしていたのです。

今もなお、完全に差別がなくなったわけではないですが、昔と比べると差別的な扱いは減りました。

それでは、なぜ、時代とともに社会が差別を減らす方向に進んできたのでしょうか。

それは、人を、ひとりひとりが個性を持った人間であると認めて、その人格を尊重して対応するべきだと考えられるようになったからです。

そして、ポリティカル・コレクトネスの背景には、人を差別的な目で見るのをやめて、その人格を尊重しようという考えがあります。

ですから、ポリティカル・コレクトネスは、ひとりひとりを尊重しようと考える社会の流れが当然に行き着く先なのです。相手をお互いに思いやる気持ち、そんな気持ちを具体的に表現することが、ポリティカル・コレクトネスであると、私は考えます。